神の救い
神は私たちが救われることを望んでおられます。また、あなたが救われることを熱望されているのです。それゆえ神は私たちに救いをお与えになりました。
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」
テモテへの手紙 第一 2章4節
しかし、救いとは一体何でしょう?救いとは、自分自身で解決できない危険な状況から助け出される、という意味です。私たちは何から救われなくてはならないのでしょう?確かに私たちはこの世界において、いろいろな難しい問題を抱えています。社会的問題、家庭問題、身体的問題、経済的問題、将来的問題など、私たちは何かしらの解決しがたい問題を持っていて、しばしば問題の重圧に悩まされ、苦しみ、悲しんで、肉体的・精神的に疲れ果ててしまいます。そして問題解決のために努力し、考え、知識を求め、ある場合は他の人に助けを求め、またあるときは宗教・思想にその解決を求める場合もあるでしょう。最悪の場合、問題からの解放を求めて自ら死を選び取ることすらあるのです。
さて、神は私たち人間に対して愛をもっていろいろなことを配慮してくださり、心配していてくださいますが、最も心にかけておられるのは私たちの魂のこと、すなわち霊的な問題なのです。聖書を通して神は私たちに警告しておられます。神の前に罪を犯した者は、死後に裁きを受け、必ずその報いとしての罰を受けるということです。その罰は火の池での永遠の苦しみなのです。
「神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。」
ローマ人への手紙2用6節
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」
ローマ人への手紙3章23節
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」
ヨハネの黙示録20章15節
この罰の恐ろしさを考えてみてください。この世における貧困、飢え渇き、暴力、危険、辱め、苦痛、悲しみなどは私たちが生きている間のみで、死によって関わりが無くなります。しかし私たちの罪に対する神の刑罰は永遠に続いて終わりがないのです。その苦しみの大きさは人間の想像をはるかに超えています(神のみご存じです)。あなたは“天国と地獄”について、アニメやおとぎ話などによってイメージを持っていますが、それらを現実には存在しない空想や観念のものであると認識しておられるでしょう。しかし聖書は神という全能者が住まわれる“天”(Ουρανός)と裁きの場所である“ゲヘナ”(γεένα)を実在の場所として明確に示しています。
あなたはこの宇宙とあなた自身を創造された神を認め、この方を神として敬っておられますか?もしそうでないならば、あなたは神の御前に罪人です。永遠の刑罰を受けなければなりません。あなたは他の人に対して悪口や嘘を言ったり、暴力を振るったり、盗んだり騙したりしたことがありますか?もし一回でも、ほんの僅かなことでもあったならば、あなたは神の御前に罪人です。人は神がご自身にかたどって創造された存在だからです。あなたは罪に定められます。あなたは心の中で悪口、嘘、暴力、盗み、情欲、傲慢などの悪い思いを抱いたことがありますか?実際の言動に至らなかったならば、この世のルール・法律で裁かれることはないでしょう。しかし神は私たちの心をすべて知られる方ですから、声や行動に関係なく罪に定められます。あなたは非常に軽微な罪に対して厳しすぎると思われるかもしれません。しかし罪に対する神の基準は、人間の基準と大きく異なるのです。私たちは神の前に犯した罪のゆえに永遠の刑罰を受けなければなりません。
私たちの霊的な問題の根本原因は私たちの“罪”、すなわち神の法に対する違反です。すでに私たちは罪を犯し、神の裁きを受けることが確定しています。実に私たちが自分自身で解決できない、霊的な問題なのです。
しかし、神は私たちに対して罪とその裁きからの救いを備えてくださいました。ここに福音があります。
「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」
テモテへの手紙 第一 2章5節
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
ヨハネの手紙 第一 4章10節
私たちの罪に対する神の義の要求は裁きの執行によってのみ満たされます。それゆえ神は愛する御子イエス・キリストをこの世界に遣わされました。この方は私たちの代わりに神の裁きを受けるために肉体をお持ちになり、人となられました。罪ある人の身代わりになる者は罪が全く無い人でなければならないからです。そして十字架の上で全人類の罪をご自身に負われ、神の裁きを受けられたのです。私たちの罪に対する神の怒りは、罪なき方の贖いによってなだめられました。それゆえ私たちは主イエスを信じる信仰によって義(罪なし)と認められるのです。
これは神が私たち全人類に示しておられる福音(良き知らせ)であり、あかし(証明)です。私たちが罪とその裁きから全く救われ、神の永遠の祝福に入ることができるという良き知らせです。そして神ご自身が完全に正しく、かつ私たち一人ひとりを限りなく愛しておられるという全人類に対する証明です。神はあなたが救われ、ご自身の祝福に入ることを熱望しておられます。ぜひ主イエス・キリストを信じ、救いを手に入れ、永遠の幸いの中に入ってくださいますように。
